~体験談~雅代&かよのいままでの人生

Masayo

         

Kayo

は子供の頃から変わった子供でした。

相手が何を考えているか、見るだけで分かってしまう子供でした。

「だからいつも人と違っている」という感覚があり、同時にどうやったら人を(特に大人を)怒らせないか考えていつも行動していました。
いつも必死で人の顔色をうかがっていました。

同年代の子供たちと遊んでいて、楽しかったけれど、同時に「子供ってバカだな」と思いながら世の中を客観的にみているような、変な子供でした。

大人といてもつまらない、子供といてもつまらない、何処に行ったらいいのか迷子のようでした。

だから幼稚園の頃から回りとなじめず、いじめられていました。生徒からも先生からも嫌われました。
先生の言う通りにしないから、嫌われていました。

結局、幼稚園から高校までずっといじめられっこでした。

学校も先生も大嫌いで、生きていても辛くてつまらなくて、生きている意味が分からずずっと死にたかったです。
 
社会人になってから、あこがれの貿易の仕事につき、大きな仕事を任せてもらえるようになって、やりがいのある仕事をしていましたが、大きな失恋をしたり、仕事の負荷が多すぎて
労でうつ病と自律神経失調症、不眠症、摂食障害、アルコール依存、神経性胃炎etc、、、になりました。

なんとか親を説得し3年で退職しましたが、体も心もボロボロになり外に出れなくなってそのまま引きこもりました。

人が怖くなって家から一歩も出れなくなりました。
 
死んでしまいたい、この世から消えてしまいたいという事しか考えていなかったけど、子供の頃から辛い事ばっかりだったので、「このまま死んでたまるか!」「なんとか楽しい事を見つけてやる!」と思っていました。
 
その後は、少し働いてはひきこもるという生活スタイルで、徐々に社会復帰しながらもバイトや派遣社員をしていました。

お金は欲しかったけど、上下関係の厳しい会社のシステム自体が自分にとっては意味がなく、会社も仕事も大嫌いだったので仕事が続かず職場を転々としてきました。
10年近くそんな感じでした。
 
そして私が人生においてずっと苦しんできた事は、自分の容姿についてです。生まれた時にとても大きなビックベイビーでした。


周りの友達よりも常に頭ひとつ大きく、体格もがっしりしていて筋肉質でした。

体格も良かったので、太っているとからかわれ続けていました。
周りにいた大人達や親戚に会うたびに体重を聞かれて「おまえは太っているからもっと食べるのを控えて痩せろ」「もっと運動しろ!」といつもいつも言われていました。

意地悪な子供からは、「デブ死ね!」と言われていました。

小学校の始めの頃は、単に体格が良かっただけなのに、太っていると言われているうちに本当にどんどん太ってしまいました。
小学校高学年の時には、立派な肥満児になりました。
 
「デブ死ね」と繰り返し言われている内に「自分は生きている価値がないから死ななければならない」「この太った体を人には見せてはならない。太った人間は誰からも相手にされない。」と思うようになりました。
 
中学校の時には、醜形恐怖になりました。
いじめも経験していたので、自分は醜いという思いで、いつもおびえていました。高校になってから、ダイエットにのめりこみました。
全然食べなくなりました。食べないで、お水ばかり飲んで体重を15キロくらい落としました。
下剤を多用していつも冷や汗をかいていました。
今思えばそれが摂食障害の始まりです。

専門学生になってからも、全然食べないで痩せてはリバウンドを繰り返していました。
社会人になってからは、ストレスもあって会社では食事ができなくなり、家に帰ってから狂ったように大量の食事をしていました。
お酒を沢山飲んでアルコール依存にもなりました。
すぐに体調を壊しました。
 
その後引きこもってからは、「太っていて醜いから人に見られたらいじめられる」という恐怖に怯えて家から一歩も出れなくなりました。「太っているから再就職もできない」と本気で悩んでいました。

男子にも女子にもさんざん外見で嫌な事を言われてきたので、人が信用できなくなっていました。

特に男性は、自分を傷つけるから一生関わりたくないと思っていました。醜い自分は死んだ方がいいと本気で思っていました。
 
その引きこもりの時期に、トリイ・ヘイデンという人が書いた「シーラという子」という本に出会い、誰からも愛されなかった子が、愛を知り変容していくという実在のストーリーに希望を持ち、そのシリーズを読みまくりました。

何かが変わった瞬間です。生きる希望に出会いました。
 
社会復帰してからは、相変わらず生きていても何も楽しくなかったけど、自分がインディゴであり、社会の概念を壊すために生まれてきている事、社会のルールが通用しない事、この人生で自分の天才性を表現する為に生まれてきている事等を知り、さらに生きる希望を見出しました。会社も嫌いで、生きていてもつまらなかったけれど、とにかく「天才性を見つける事」にきる希望を見出しました。
 
このシャンバラという活動をしている人達に出会って、なんかわからないけど心惹かれるシャンバラギャザリングを通して、少しづつ自分が変わっていくのが分かりました。
 
自分には生きている価値があり、やりたいように自分を表現してよい、何をしてもよいと心と体で理解するようになってから、ようやく自分らしくいられるようになりました。
 
今までの人生でシャンバラギャザリングに行く事に希望を見出せた事、インディゴという新しい念をもった子供たちが生まれてきている事、そして大人達とうまく融合して生きていく事ができる事、決して乗り越えられない壁は無く、自分には生きている価値があるという事を知りました。
以前の私のように苦しんでいる全ての人達と、生きる喜びと情熱を取り戻してほしいと思っています。
 
あと一歩で自殺していた私ですが、生きていてよかったと今心から思っています。


だから、みんなも決してあきらめないで、生きていれば絶対に良い事があるから!一緒に生きていこう!


どんなに辛い事でも決して乗り越えられない事はない、みんな一人ではないんだよ!!!


一緒に乗り越えていこう!!!

みんなには生きる価値があるから!!!


どんなに辛くても生きていると絶対にいい事があるから、絶対に諦めないで欲しいです。


そう思っています。
 

 

子供の頃からずっと人と違うと思っていました。

それは会話をしても感じることや思いはいつも人と違うので、変わり者扱いをされていた。毎日がつまらなく、なぜ学校に行かなくは行かなければならないのか!と思っていました。

それは、学校には学校の評価があり、そこにはまらなければ、きつい扱いがありました。早い話勉強もスポーツも出来なかったのです^^;

そして子供の頃から太いので「デブ」と言われ続けました。

社会に出てもそれは変わらず付きまといました。

太いと人間扱いされず、厳しい現実が待っていました。

いじめや仲間はずれは常に付きまとい、孤独や生きている事の意味は分からなくなりました。中学校では進路の時に「働きたい」と思い伝えた事もあります。

それは、もう学校に行きたくなかったからです

。勉強できずというかしなかった^^;という理由もありは入れる学校はなく、地元の馬鹿学校と言われる高校に嘆願で入り、入れなかったら専門学校となっていた。

さすが地元だけありは入れた。もうその頃はコンプレックスの塊で同級生は信じられなかった。
 
社会に出て、初めての職場が地元のスーパーでとても息苦しかった。

たくさんの従業員の年齢、複雑な社会のルール、社員の仕事、地元ならではの息苦しさ(ほとんどが知り合いなので・・・)。。。

なんだかんだ言いつつ仕事は続けていました。20歳過ぎには、遊び始め、家に帰ったり帰らなかったりを繰り返していた。

家に連絡をするとウルサク言われる為、外泊しまくっていた。
 
大好きだった人と別れ、飲みまくり友人とフラフラになっていた頃に出会った人と付き合い始めた。

誰でも良かったっから。最初のうちは良かったが、何かがおかしくい別れた。が、又なぜか付き合うという事を繰り返した。

はまっていき感覚がなくなった頃には「汚い」「今までの人生を後悔しろ」「うそつきだ」「頭がおかしい」「お前は生きてる価値ない」などの言葉の暴力が始まった。

今ならそんな男は要らないが、あの頃はもうはまりまくっていたのだ。

そして後から知ったがDVだったのだ。なぜか加害者は「私がいけない」と思っている。

そうなんです。言われ続け洗脳され、「自分が悪いからこうなるのだ」って思っている。そして、どんどん精神的にやられていきました。

一緒にいても試されたり、テストされたり、言葉でやられ、時に外で殴られ警察沙汰前になりました。過食したかと思うと吐いたり、常に夜はお酒を飲んでいた。何も食べずタバコとお酒。。。。。。
 
そしてある日壊れた。その頃は別れたのに電話などが凄かった。

これ!と思ったら即行動の人だったから、待ち伏せ、電話、友人に電話、会社にも来る(会っては居ないが)と帰り道など心が休まるどころか怖かった。

それは自分の車ではなく友人の車で来たり手段が見えなかったからだ。これも後で知ったがストーカーだった。

お互いの家は知っていたので1日中部屋のシャッターを降ろし彼が来たときに分からなくした。眠れず睡眠障害。会社は何日かは家族の計らいで休んだ。そして、会社に行きながら、家に帰るとぼーっと過ごす

。ある日姉から「精神科に行こう」と言われ行き、「自律神経・鬱」など数多くの精神病になった。「普通の人では判断できない」と言われた位ちゃんとしていた。

会社に伝えた時その意味が分かった。誰も気づいていなかったからだ。

仲の良い2人以外。。。

その頃は手首を切りたかったり、なぜ生きていないといけないのか。

分からなくなった。精神科の先生と話、家族と話し、会社を退社した。

上司にだけ理由を伝えて。。。

それからずっと覚えていない。ただ真冬の夜中にベランダ出て星を見ていた。
 
姉や家族の計らいでハワイに姉と2人でハワイに行った。イルカを見る為に。。。

そしてハワイで少しずつ自分を取り返していた。

睡眠薬も薬も少しずつ手放していった。

ハワイで現地の人に声をかけてもらい、優しさを貰った。

帰国してから、アロママッサージなどの薬以外の物を精神科と平行し直して行った。。。薬ないのに良くなっている私を見て精神科の先生は驚いていました。

そして、法律に詳しい方にも出会い、今までの出来事は「私は悪くなくいざとなれば法で処理出来る事」を知った。

法は使わなかったが、最後の手段があることを知った。

精神科の先生にも言われていたが、ふに落ちた。
 
何がきっかけかは分からないが、生きている価値が分からなかった。

自分の価値が分からなかった。死にたかった。が様々な経験で、今生きています。たくさんの可能性を知りました。

何も人の価値で生きることはなく、今の自分でOKだと言うこと。

そして、友人がいます。家族もいます。行動に起こしてみたら今の自分がいます。

今辛いこと。時に人に話すと改善します。違う見方が出来るから


こういう体験をしている方へ。。。

自らを責めないで下さい。あなたは悪くないのだから。

自分に刃物を向けないで下さい。

責める内容はないのだから。。。。

私の経験が役に立ちますように。。。。。
 

 

今までの中で、楽しいこともいっぱいありました。。。。。
親からたくさんの愛をもらいました。。。。
辛すぎて忘れていただけです。
あなたも愛をもらって生きてきたことを忘れないでね。

今わたしたちは愛する家族や仲間がいてとても幸せです。
みんなと生きる喜びと情熱をシェアしていくことが、マザーアースの活動原点です。

 

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